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Permanent Exhibition


1392~1863
朝鮮時代のソウル
500年王都を興す Leaflet-Zone 1



 
「この土地の形勢は、王都にふさわしい地の利を得ている。その上、漕運に優れ国の中央に位置している故に、民の暮らしの利便にも役立つであろう。」1394年(太祖3)8月、朝鮮第一代国王である太祖は漢陽に王都を構えてこう言った。やがて宗廟や社稷、王宮が建てられると、王の教化と政令が下され、民の願いと衷心が寄せられた。全国の物産が、朝鮮の首都である漢陽に集散した。数々の品を積んだ馬・車・船が陸路や水路から押し寄せ、漢陽は朝鮮の経済の中心地となった。中国・日本・満州・琉球の使臣を迎え入れ、また、朝鮮の使臣を送り出していたのもやはり漢陽であった。外国の品物が漢陽から入り、朝鮮の品物が漢陽から出て行った。漢陽は、文明と文化が出入りする寄着地であり出発地であった。さらに、漢陽は、思想・ 学問・礼儀・芸術において時代を先取りし、衣・食・住などの生活文化の手本となっていた。この時代からソウルは常に、誰もが憧れ仰ぎ見る存在であり続けた。漢陽-漢城-ソウルは朝鮮の首都であり、人々の羨望の対象だったのである。



1863 ~ 1910
開港、
大韓帝国時代のソウル
伝統に基づき皇都を夢見る Leaflet-Zone 2



 
19世紀中盤、ソウルに変化の風が吹き始める。1865年、政府は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の際に焼失した後、手付かずの状態だった景福宮の再建を決めた。王都として面貌を一新させる目的だった。工事の真只中だったその翌年、漢江にフランス軍艦が姿を現した。これが帝国主義列強によるソウル攻略に向けた最初の試みであった。それ以来自主的な改革のための取り組みと植民地化を図る圧力が絡み合い、韓国の伝統と西欧の近代的要素が共存する中で、ソウルは人々の生活の全てが激変する空間となった。度重なる政治的変乱の中でもソウルの街には洋館が増えていき、電気や石油、マッチ、硝子などの新しい文物が日常生活の中に入り込んでいった。1897年、朝鮮は大韓帝国となった。それと同時にソウルを帝都にふさわしい形へと改造する事業が始まった。慶運宮は皇宮となり、正面には東洋の帝国の象徴である圜丘壇が建立された。道路も新設、拡張され鐘路には路面電車が敷かれ、公園も作られた。ソウルは東洋的伝統と西欧の近代的要素が調和をなしつつ共存する都市へと変貌していったのだ。しかし、1904年、ソウルを占領した日本軍によって、大韓帝国がソウルで実現しようとしていた理想は踏みにじられた。



1910 ~ 1945
日帝強占期のソウル
近代都市化の影 Leaflet-Zone 3



 
1910年8月、日本は大韓帝国を強制的に併合して朝鮮と呼び、天皇直属の機関として朝鮮総督府を設置した。総督は朝鮮の行政、軍事、立法、司法の全権を握った。大韓帝国の首都として政治、経済、文化の中心であったソウルは、仁川や開城などと同じく、京畿道所属の京城府に格下げされた。名目上は日本の地方都市となったわけだが、ソウルは依然、植民地統治の中枢機関や主要企業、教育機関、文化施設が集まっている朝鮮の首都であった。この頃のソウル人口の約20%を日本人が占め、彼らは主に清渓川の南に位置する南村に住んでいた。韓国人に対する差別も日常的なもので、行政は日本人を中心に行われ、経済的、文化的資源の大部分が南村に投じられた。韓国人はこのような差別に反発しながらも、一方では、南村に集中する近代文明の誘惑に勝てず、南村の建物や施設に魅せられ、ここで近代というものを体験することになる。しかし、あくまでも韓国人はよそ者であり続けた。日本植民地期のソウルは近代都市へと急激な変貌を遂げたが、植民地都市の近代性は韓国人を惑わしたに過ぎず、決して彼らを包容することはなかった。

 

1945 ~ 2002
高度成長期のソウル
奇跡の復興を遂げた巨大都市 Leaflet-Zone 4



 
1945年日本の植民地支配から解放され、主権国家の首都となった三年後に特別市に昇格したソウルは、帰国した在外同胞と北から移住した人々がひしめき合う貧しい都市だった。その上、1950年に韓国戦争が勃発し、多くの地域が廃墟と化した。その後、二世代にわたって行われた政府主導の経済開発の中で、その原動力でありながら経済発展の恩恵を一身に受けたソウルは現代化した巨大都市へと発展した。また、爆発的な人口増加に対応するため、上下水道、道路、地下鉄、住宅、学校などの建設事業が次々と行われた。それに伴い市街地は漢江を超え、江南地域、首都圏へと次々と広がっていった。このような「漢江の奇跡」と呼ばれる高度成長期の中で、産業の高度化、経済成長、民主化、地方自治が実現した。しかし、人口過多、環境破壊、歴史遺産の毀損、社会の二極化、ソウルへの一極集中など、都市の巨大化がもたらした問題が発生し、未来に向けた課題として残された。



ソウル、今日そして
明日...
都市模型映像館



 
都市模型映像館では、学生や市民達がソウルの自然と都市環境を立体的に理解することができる。また、ソウルを訪れる外国人観光客にソウルの発展と未来のビジョンを示すことによって、ソウルのブランドイメ ージを高める役割を果たしている。また、都市講座とセミナーなどのプログラムも運営する新しいタイプの 多目的展示空間である。