寄贈遺物特別展「ティルクシャと琥珀の首飾り」
▶ ティルクシャと琥珀の首飾り(Dilkusha And Chain of Amber)
チョンノ(鍾路)区ヘンチョンドン(杏村洞)に「ティルクシャ」という家屋がある。現在この家屋は登録文化財に指定されており、内部復元工事を行ってから再び市民に公開される予定だ。かつてのこの家の主人はアルバート&メアリー・テイラー夫妻であった。彼らは1917年から1942年までソウルに居住しながら様々な活動と行動を行い、彼らが残した遺物には当時の時代様相をよくとどめている。アルバート&メアリー・テイラーの視線を通じて見たキョンソン(京城、当時のソウル)の姿は、外国人が観察したという点で、他とは異なるユニークさがある。今回の展示を通じて、テイラー夫妻が朝鮮をどのように捉えたかを振り返ることができる。
▶ ティルクシャ、世に知られる
ソウル特別市チョンノ(鍾路)区ヘンチョンドン(杏村洞)、樹齢約500年ほどのイチョウのそばには、赤煉瓦の西洋式家屋がある。家やその周辺の陰鬱とした雰囲気により「幽霊の出る家」と呼ばれたり、1990年代には「大韓毎日新報の社屋」や「ベセルハウス」ではないかと推測されたりした。しかし、ソイル(瑞逸)大学校のキム・イクサン教授が、米国人であるブルース・テイラーの依頼により彼が幼いころに住んだ家を探すプロジェクトを引き受け、2か月間かけて探し出した結果、この家の名前が「ティルクシャ(DILKUSHA)」で、外国人夫婦であるアルバート・テイラーとメアリー・テイラーが居住した家であると分かった。2006年、ブルース・テイラーは67年ぶりに自らが生まれた家に訪れた。こうしてウンヘンナムゴルにある赤煉瓦の家「ティルクシャ」に秘められた物語が世に知られることとなった。
▶ アルバート&メアリー・テイラー
アルバート・テイラーはウンサン(雲山)金鉱を運営していたジョージ・アレキサンダー・テイラーの息子である。彼は22歳の時に朝鮮に訪れ、金鉱業に従事した。彼は、日本に出張した際に、横浜でメアリー・リンリーという女性と出会い、1917年にインド・ムンバイで結婚式を挙げ、同年秋に朝鮮で新婚生活を開始した。
1919年、テイラー夫妻の息子であるブルース・テイラーが生まれた年に、朝鮮では3・1運動が起こった。アルバート・テイラーはコジョン(高宗)の国葬、3・1運動、チェアムリ(提岩里)虐殺事件など、朝鮮の独立運動と日本による支配の残虐さを記事として世界に伝えるために努力した。その後、彼らは1923年にチョンノ(鍾路)区ヘンチョンドン(杏村洞)に自宅を建て、「ティルクシャ」と名付けた。
1941年、日本の真珠湾攻撃により米国と太平洋戦争が勃発し、翌1942年にはテイラー夫妻は朝鮮から強制追放された。1945年、朝鮮が解放されると、彼らは再び朝鮮に戻るために力を尽くしたが、1948年にアルバート・テイラーは心臓麻痺により急逝した。メアリー・テイラーのみが入国し、夫をソウル・ヤンファジン(楊花津)外国人霊園に葬り、米国に戻って1982年に他界した。
▶ 琥珀の首飾り
メアリー・テイラーが著した『琥珀の首飾り(Chain of Amber)』は1917年から1942年までのテイラー夫妻のソウル生活を記録した自叙伝である。自叙伝が出版されるよりも前の1982年にメアリー・テイラーが他界したため、彼女の遺稿を息子であるブルース・テイラーが整理して1992年に出版した。この本に登場する「琥珀の首飾り」とは、メアリー・テイラーがアルバート・テイラーと結婚する際に贈り物として贈られたものである。本に登場する内容はすべて琥珀の首飾りが物語の糸口となっているため、非常に象徴性が大きい資料といえる。テイラー家にとっても貴重な宝物である。『琥珀の首飾り』では当時のソウルの人々の生活模様、民俗信仰、クムガンサン(金剛山)見物などから感じたことなど、彼女の朝鮮での体験や経験がいきいきと記録されている。
▶ ティルクシャ
「ティルクシャ」はチョンノ(鍾路)区ヘンチョンドン(杏村洞)にある大きなイチョウの木の隣に建てられた。「ティルクシャ」とは、サンスクリット語で「喜びの気持ちの宮殿」という意味であり、メアリー・テイラーがインド北部ラクナウを旅行していた際に見かけた建物の名前をとって名付けられた。家屋の右すみには、「DILKUSHA 1923 PSALM ⅭⅩⅩⅦ.Ⅰ」と刻まれた礎石がある。家の構造は地下1階~地上2階となっており、花崗岩を磨いて基壇を置き、その上に赤煉瓦を積み上げて作られている。