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ハニャン(漢陽)都城博物館のご紹介 Leaflet

2014年7月31日に開館したハニャン(漢陽)都城博物館は、2016年9月6日リニューアルオープンしました。
ハニャン(漢陽)都城は、1396年に築造されて以来、600年余りの間ソウルを守ってきた首都の城郭でした。

地形と一体になるように築造されたハニャン(漢陽)都城は、近代化の流れの中で毀損された部分もありますが、今日までその原型がよく保存されており、都市と共存する文化遺産となっています。

トンデムン(東大門)城郭公園に位置しているハニャン(漢陽)都城博物館は、朝鮮時代から現在に至るまでのハニャン(漢陽)都城の歴史と文化を展示している博物館であり、常設展示室、企画展示室、都城情報センター、学習室などを取り揃えた文化空間です。ハニャン(漢陽)都城博物館で600年間のハニャン(漢陽)都城の歴史と文化遺産としての未来価値をお確かめください。

1階ロビー

都城、ソウルを抱く

博物館1階ロビーの壁に設置してある大型マルチビジョンのハニャン(漢陽)都城メディアアートでは、ハニャン(漢陽)都城の過去と現在、そして城壁に残されている数多くの記憶をご紹介しています。

常設展示室

常設展示室 1 - ソウル・ハニャン(漢陽)都城
ハニャン(漢陽)都城の全体が見られるよう縮小した模型と映像を通じて、ソウルの代表的な文化遺産として再びスポットライトを浴びているハニャン(漢陽)都城の意味とその価値を確認できます。また、デジタルお城巡り体験コーナーでは、曲面スクリーンで全長18.627㎞にわたるハニャン(漢陽)都城の全景を見ることができるとともに、巡城する際に知っておくと良い情報もお知らせしています。

ソウル、ハニャン(漢陽)都城

人口1,000万人、面積605㎢のマンモス都市ソウルは毎日絶え間なく変化している。日が昇ってソウルの一日が始まると、大勢の人々の慌ただしい動きで都市は急速に変化する。しかし、これがソウルのすべてではない。ソウルは600年余り深く刻まれ続けた過去が今日の日常と共存している歴史と文化の都市であり、長年都市の歴史と軌道をともにしてきたハニャン(漢陽)都城がこれを証明している。

1396年に朝鮮の首都ハニャン(漢陽、現在のソウル)に建設されたハニャン(漢陽)都城は、都市の境界線であるとともに都城内に住む住民の暮らしを守る垣根の役割をしていた。近代化に伴い、都城としての機能を喪失し、昔の姿が一部毀損され、人々の記憶の中から消えつつあるが、ハニャン(漢陽)都城は今もなおソウルの中心に存在している。発掘と復元によって再びよみがえりつつあるハニャン(漢陽)都城は、季節と昼夜の変化を繰り返しながら、今も都城の内側に住むソウルの人々を抱いている。

常設展示室 2 – ハニャン(漢陽)都城の建設と管理
朝鮮のハニャン(漢陽)遷都から、首都の建設、都城の築造に至るまで、ハニャン(漢陽)都城の誕生をはじめ朝鮮時代のハニャン(漢陽)都城について知ることができる展示室です。ハニャン(漢陽)都城の建設だけでなく、城門の開閉、都城の管理、都城内外で生きてきた朝鮮時代の人々の暮らしぶりなど、様々な内容について彩り豊かに紹介しています。

ハニャン(漢陽)都城の建設

都城はその位置、規模、形象、格式などを通じて一国の価値と統治理念を表現する建築物であり、構造物の集合体である。政令はすべて都城内から出され、国の重要な儀礼もすべて都城内で行われる。また、優れた人材や物資もすべて都城内に集まる。1392年にひらかれた朝鮮王朝により、新しい都として定められたハニャン(漢陽)は、コリョ(高麗)時代には南京であったにもかかわらず、城壁さえなかった所だ。朝鮮王朝は、この地の地形に沿って城壁を築き、儒教的な理想都市論に基づいて城壁の内部を満たした。都城内の道路は城門を通じて全国に通じ、都城の南から東西に流れるハンガン(漢江)は物資輸送路として利用された。16世紀末と17世紀の半ば、日本と清の侵略によって都城が攻め落とされ、破壊されるという被害に遭ったが、城壁が崩れたらまた積み上げ、城門が崩壊したら造り直すというように、都城の基本的な構造は朝鮮王朝500年あまりの間大きく変化・毀損されることなく維持されてきた。

都城の管理と生活

都城は王の尊厳と国の権威を表すとともに守護する施設として、それにふさわしい権威を持たなければならなかった。セジョン(世宗)大王時代、都城を大々的に修築し、城壁に沿ってその内外に巡審路を造った。軍人たちは毎日その道を巡察しながら異常の有無を観察し、異常が見られた時には担当官署に通知して補修した。王や海外の使者が出入りしたスンニェムン(崇礼門)とフンインジムン(興仁之門)は特に華やかで壮大に造られた。門楼は火災監視用の物見やぐらの役割もしていた。都城はソウル住民の日常生活を強力に統制しただけでなく、全国民にも象徴的かつ実体的な影響を及ぼした。ソウル住民は都城の門が開閉される時間に合わせて生活を営み、毎日城壁を見ながら暮らした。ヨンジョ(英祖)時代に「守城節目」が制定されてからは全都城民に有事の際に守るべき城壁区間を割り当てた。地方から上京する人々にとっては城壁と城門を見てソウルに着いたことを体感できるほどだった。

常設展示室 3 – ハニャン(漢陽)都城の毀損と再誕生
日本による植民地時代及び解放後の近代化過程の中で毀損した都城を復元・発掘し、市民に公開することによって再び市民のもとに帰ってきたハニャン(漢陽)都城の激動の歳月を知ることができる展示室です。苦境を乗り越えてよみがえったハニャン(漢陽)都城の近現代史をひと目で知ることができます。

ハニャン(漢陽)都城の毀損

古い城郭都市にとって近代化とは、人口増加によって都市空間が城壁の外へと拡大し、新しい交通手段の発達によって道路が新設・拡張され、新しい武器の開発によって城壁の軍事的価値が減少する過程でもある。世界中のほとんどの都市の城壁が、近代化に伴い昔の姿を失っていったが、ハニャン(漢陽)都城もその例外ではなかった。それにソウルの近代都市化は外国勢力の侵略に伴って行われた。韓国を植民地化した日本は、平地の城壁を組織的に崩し、また数百年もの間ソウルの象徴であった城門を撤去するかあるいは放置した。日本神道の神社である朝鮮神宮を建立してナムサン(南山)一帯の城郭を取り崩し、キョンソン(京城)運動場を建ててトンデムン(東大門)周辺の城郭を壊した。ハニャン(漢陽)都城は、尊厳ある地であることを象徴する建築物から亡国の痛みを現わす廃墟と化した。

ハニャン(漢陽)都城、よみがえる

城壁に取り囲まれた中世都市は、近代の産業化と都会化に立ち向かうすべがなかった。近代化の流れの中で、城壁が都市発展を邪魔する古い時代の痕跡と認識されることは、避けることのできない時代的現象と言える。世界中で歴史都市の城壁が取り壊された。ハニャン(漢陽)都城も、中世の城郭としてその宿命を避けることはできなかった。しかし、平地に建設された他の城郭とは異なり、ハニャン(漢陽)都城は自然と一体となるよう築造されたことから、かなりの部分を残すことができた。荒波のように押し寄せた近代化の時期を過ぎた現在、民族の伝統が刻まれた遺物として保存するべきであるという考えが広まり始めた。ハニャン(漢陽)都城も韓国とソウルのアイデンティティを現す記念碑的な文化遺産として再発見され、過去とは違う意味をもつ構造物としてよみがえった。原型通りに修復するという考えが逆に真正性を損なうという事例は少なくないが、ハニャン(漢陽)都城は、刻まれた傷さえも次世代に伝えて受け継ぐべき教訓とし、人間と自然、過去と現在が調和を成す新しい時代のシンボルとして生まれ変わった。

  • 観覧時間
    観覧時間
      3月ー10月 11月ー2月
    土日休祭日 09:00-19:00 09:00-18:00
    平日 09:00-19:00
    休館日 1月1日、毎週月曜日
  • 入場料
    • 無料
  • 住所
    • ソウル特別市鍾路区ユルゴク路283 ソウルデザイン支援センター 1~3F (郵便番号 03098)
  • 連絡先
  • 交通アクセス

    Transportation

    • 1号線トンデムン駅, 1番出口
    • 4号線トンデムン駅, 10番出口
    • 東大門停車場(01-214), 102, 107, 108, 301, 7025
    • 東大門(興仁之門)停車場(01-037, 01-233) , 101, 103, 105, 144, 152, 201, 260, 261, 262, 270, 271, 370, 420, 720, 721, 2112, 2233, 6002, 9301